長崎道中

旅が好きだ。
私の場合、旅の目的は移動することそれ自体にある。
通った国道や立ち寄った場所を地図で見返すのが、1番楽しい。


初めて長崎を訪れたのは、大学在学中。
一人で九州全県をめぐった。これが最初の一人旅だった。

初めての長崎旅は、熊本からフェリーで有明海を渡って島原に入った。
眼前に迫る雲仙岳の、いかにも粘り気の強いマグマで凶暴そうな鐘状火山の迫力に興奮した記憶が懐かしい。

 

 

縁あって、4度目の長崎旅をした。

長崎県は極端に平地が少ない。
県の面積の45%が島嶼部であり、本土もほとんどが山。
長崎市佐世保西海市も平戸も、海岸線ギリギリまで迫った山のヘリに街がへばりついている。
住宅街も平地はほとんど無くて、どの家も擁壁とセットになっており、風通しと陽当たりは良さそうだが、建て替えが大変そう。

 

目を引くのは、墓地だ。
長崎で見かけた墓地はことごとく、笑ってしまうような急傾斜にあった。
墓地1区画ごとに、墓石と同じかそれ以上の高低差がついているところもあった。
高齢になったら、墓参りは諦めるんだろうか。

初めて見かけた時は、なんてところにお墓を作るんだ・・と思ったが、
考えてみれば、長崎においては貴重な平坦地を、わざわざ墓地にしないのは当然か。

 

お墓は、土地柄が出やすい。
旅ではそれを観察するのも楽しい。

九州のお墓は、墓石に掘られた字に金箔が貼ってある。
これも本州では、まず見かけない。

珍しいお墓の筆頭は沖縄で、日本のよくある墓石とは似ても似つかない。
沖縄戦の史料で「お墓に逃げ込んだ」と書かれたのを何度か読んだ。
その情景がピンとこなかったのだが、沖縄の墓地を目にして納得した。

 

 

さて、私にとって二度目の長崎市街。
一度目に行った出島も楽しかったのだが、今回は行きたい場所があった。

市内で最も賑わう浜町エリアから少し南東に、路面電車の「思案橋」という停留所がある。
大通りから南に入り、思案橋通りを歩くと、驚くような密度でスナックやキャバクラが並んでいる。

宮崎で連れて行ってもらった「ニシタチ」と呼ばれるスナック密集地を思い出した。

思案橋通りを抜けると、カステラで有名な福砂屋本店がある。
明治期の建物だそうで、白壁と格子、「福砂屋」と書かれた貫禄のある長暖簾は、いかにも観光地然としている。
しかし今回のお目当てはそこではない。

福砂屋のさらに奥、「丸山町」「寄合町」と書かれた提灯が立っている。
ここが的地。

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丸山町の入り口



 

上方落語に「らくだ」という演目がある。
物語の開始と同時に主人公(あだ名が「らくだ」)が死んでいるし、ちょっとグロいシーンを含み、難しい演目の代名詞のように言われる。
この主人公の名前は、江戸後期に起こった一大ラクダブームに由来する。
ところで話は逸れるが、上方落語はあまり見てこなかったので、あの小拍子というやつが慣れない。講談かと思ってしまう。
江戸落語噺家さんの腰から下の動きも妙技だと感心するが、上方落語は膝隠でそれが見えない。別の部分を味わえば良いのだろうが。

ラクダの話に戻る。
江戸時代といえば鎖国しているんでしょと思われがちだが、海外の文物は平気で国内に入ってきていた。
入口となる港が限定され、主に禁教目的の検閲が厳しかったというだけである。

ラクダもまさにそのひとつで、1821年くらいに雌雄2頭が江戸にやってきた。
両国で見世物になったラクダは、庶民の間でブームを巻き起こした。
デカイ図体で、何のためにあるか分からないコブと、胡乱な顔。
当時の人々に与えたインパクトは強烈だったろう。

江戸時代の人を興奮させたまさにその2頭が、今回の目的地「丸山町」と関係している。

 

本題に入る前に長くなってしまった。
つづく。